自分用雑記

日々起こったこと、考えたことのメモ

12月26日 カウンセリングまとめ

僕は2週間に一回病院に行って、カウンセリングを受けていて4週間に一回医師の雑な診察を受けて睡眠薬を貰っている。

今日はカウンセリングのみだったんだけど、主に僕の地元での対人関係の在り方について話した。

以前僕は人と仲良くなれる条件として
・一緒に過ごした期間が長いこと
・趣味嗜好が似ていること
・性質が似ているまたは性質が合うこと
ってのを書いたんだけど

趣味嗜好が違うから地元の人と距離を置いているという現実がある。

自分は自分、人は人とパーソナリティの違いを認めて線を引くのは良いが、それが人と人を区切る線になってしまっていては駄目らしい。

もっと相手に興味を持った方が良いみたいだ。
確かに僕は理屈では他人に興味を持つことが大事だと思っているけど、実際あまり人に興味がない。

趣味嗜好が違うなら、相手の趣味のどういうところが面白いのか?という具合に。

誰とでも仲良くできる人はそういう共感力が高いらしい。


友達でも誰でも欠点はあるけれど、そこに着眼すると距離を置かざるを得ないので、悪いところを認めつつも人間関係を続けていった方が良いみたいだ。

幸い、最近出来た薄い人間関係は未だ切っていないので、
悪いところ以外の側面で付き合うことをした方が良いらしい。



また、「完璧じゃない友達を沢山作っても良い」という考えも有用だ。

例えば、0〜10までの段階があって1の人もいれば8の人もいても良いという具合に。

カウンセラーが言うには、僕は関係が近くなってくると悪いところを見つけてつき離すという、悪い癖があるらしい。


あと、カウンセラーがそろそろ女性に興味が出てきても良いのではみたいな話をしてきたけど、僕はずっと抑圧しているだけで興味は失っていない。

でも今の僕の健康状態、経済的な状態から判断するに、女の子と付き合うのは難しいから、ツイッターで女の子を眺めてそれで我慢しているのだ。

12月26日 優良なクライアントのおかげで自信がついた

僕はクラウドソーシングを一年近くやっているんだけど、先日お仕事を下さったクライアントがとても対応が良くて感動した。
メールは丁寧で好感が持てたし、
適度に雑談的な内容を交えたメールをしてくるのが実にコミュニケーション能力が高くて素晴らしいと思った。

成果物に関しても上手いこと褒めてくれるので、それによって僕のモチベーションも上がり自分のベストオブベストを尽くそうという考えから、
今年一番の出来栄えのものが出来た。

値段はいつもより少し高いくらいだったけど、今月、クラウドソーシングを始めてから初の黒字となり、
大いに自信がついた。

12月25日 相手を操作する目的で媚びるのは良くない

僕は高校生くらいから、先輩には好かれて後輩には軽んじられるタイプだったので、自然と媚び体質というか、良く人を褒めるようになった。
それがアラサーになった今でも続いてるんだけど、会社員の頃はその媚びや褒めが通用しない人が沢山いて、
否応なく社会の厳しさを実感させられたものだった。

話は少し逸れてアドラー心理学の考え方に「褒めるということは人を操作しようとする意図と人を下に見ている心理から生まれる行為だ」ってのがあるんだけど、先日全くその通りだなと痛感した。

SNSで知り合った人と仲良くしたいと思ってそれなりに褒めたり友好的に接したりしたんだけど、僕の本来の目的に人とコミットしてリハビリしたいという色が濃かったため、何か上手くいかなかった。
でもそれは僕だけの課題ではなくて、相手の「僕と仲良くならない」という目的も尊重しなければならない。


似たような事をこの前同じSNSでされて、これって不快だなぁと思った。

経緯を書くと、カラオケのオフ会で参加者を募っている人がいたからその人のページを訪問したら、メッセージが来て誘われたんだけど、僕は人見知りで警戒心が強いから誰が参加するのかを聞いたら、僕が参加したがっているという情報が幹事の人によって他の参加者にシェアされて、知りもしない人からバンバンメッセージが来た。

これには相手がチームワークで懐柔しようとしている(恐らく人数合わせか参加費目当て) という明確な意図を感じたから僕は参加するか躊躇って、知り合いの女の子にその幹事の評判を聞いた。

すると出会い厨で男性の参加者には話しを振らない厄介な奴という評判だったので参加をキャンセルした。

そうしたら速攻でキャンセル料払えという手前勝手なメッセージが来た。


つまり僕が言いたいのは

その幹事の人とその界隈の人間は懐柔するという目的で媚びてきたけど、
「課題の分離」が上手くできていないダメなおっさんだから
僕の参加しないという目的を尊重出来てないで勝手に逆上した

ってこと。他にも人に媚びて失敗したことは結構あるので、相手を操作する目的で媚び売るのは良くないよ。

意外と楽しかったぼっちクリスマス

僕は実家ぐらしなんで、実際はぼっちクリスマスではないんだけど、メシを食う以外の殆どの時間一人で居るんで、23日24日はちょっとしんどいかな〜と思っていた。
でもいつも通りにジムに行って仕事をして勉強をしていたらいつの間にか時間が過ぎていた。
ツイッターでフォローしている人が概ね平常運行(フォロー数が少ないアカウントは流石にTLの流れが遅くて少々気が滅入ったけど)していたから割と楽しめたし、身を忙しくしていると特に嫌な気分にもならないみたいだ。

因みにmixiは煩い奴を一人ミュートして一日一回ログインするだけにしたら、結構楽になった。
多分タイプ的に合わない人と無理矢理仲良くしようとしたから負の感情に取り憑かれてたみたいだ。
向こうにもなんとなくそれが伝わるのかもしれないな。

僕はメシ食った〜 とか ○○買った〜 といったタイプのpostを連発する人は好きじゃない。
なぜならば僕は、○○がいつ発売されたので食べてみました みたいな見る人にも多少価値がある情報をシェアすることを心がけているから。

ツイッターに至ってはその限りじゃないけど。

(独自研究)鬱病患者の「疲労感」について

僕は2年半くらい前に、医者がいうには中等症の鬱病になったんだけど、今では先日の記事に書いた、対外的な刺激に弱くなるという症状(元々の性格なのかもしれない)と健康な時には感じなかった『疲労感』だけが残っていて、目下これが課題だ。

鬱病になると集中することが困難になって、僕も酷かった頃は活字の多い本が全く読めなかった。
今でも2時間くらい読むとかなり疲れる。

さて疲労感の話に戻るんだけど、鬱を患っていると一定量以上疲労が溜まるとダウンする。
そんなの健康な人も一緒でしょって意見が出ると思うけど、鬱の人は健康な人よりかなり疲れ易い。

僕が耐えられるのは一日に

PC作業→3時間半 一時間オーバーとかすると体調が悪くなり寝込む

読書→2時間くらい これはPC作業を減らせばもう少し出来るかもしれない

人と会って話すという緊張状態→
3時間半から4時間くらい
(僕は恐らく対人恐怖症の延長みたいな感じで鬱が発症したのでかなり緊張し易く疲れる)

少し前までこれらはそれぞれが独立した疲労で、例えばPC作業を3時間半と、人に会うことを4時間してもダウンしないと思っていたんだけど、
実際にそれらの疲労は全て同じ性質の『疲労』として蓄積されていたらしくダウンして2、3日寝込んだ。

それからはPC作業をして、あー今日は疲れてるなぁと思ったら他のことは控えるようにした。

鬱の人は自分が何をしたらどれくらい疲れて、どのラインを超えたらダウンするのか理解できるようにセルフモニタリングをした方が良いと思う。

それでも僕は自己啓発をやめない

アドラー心理学の本の内の最もわかり易いものに、漫画でわかるアドラー心理学というのがあるんだけど、
その中にアドラー心理学の有用な概念の一つである「勇気づけ」は鬱病患者に用いるのは注意が必要だと書いてあった。

軽度の鬱病の僕もこの一週間くらいでその意味を痛感したんだけど、
多分鬱になると対外的な刺激に極端に弱くなるというか、病前の性格以上に豆腐メンタルになる。

で、実際に数回人とあって僅かながら実践の機会があった僕はそこでできた薄っすらとした人間関係に耐え切れなくなってまた引きこもりに戻ろうかと思った。

でも、ふとしたタイミングでこんな記事を目にしてもうちょっと続けてみようかと思った。

二流を超一流に変える「やる気」の与え方――
二軍選手を一軍で活躍させる“内発的動機”の高め方


こういう時は、負け癖などついていないと、暗示をかけるしかない。要するに、努力を続けさせる動機付けが大切であって、成果を短兵急に求めないほうがいい。成果ではなくて努力に価値がある、努力を続けていると必ず成果が出るというふうに持っていく。
なんだか僕のことを言われているような気がして(周りの発言が全て自分に向けられていると感じたら精神疾患を疑った方が良いです)
苦痛に耐えながら考えた。

アドラー心理学の「課題の分離」の概念は有用だけど何事も程度問題で、自分は自分って割り切った考えが行き過ぎてしまっては社会人としてバランスを欠く。

だから他の思想も適度に受け入れつつも引き続きアドラー心理学の考え方も取り入れていこうと思う。

「他者はあなたの期待を満たすために生きているのではない」という節がなんとなく解った気がして、リア充アピールする人もSNSの地雷っぽい人も、多分自分なりの信念をもって生きているんだと思う。

でも過度にリア充アピールする人は今の僕の心象を悪くするので、ツイッターでいうところのミュートをさせて貰った。



地方に馴染もうとしたら健康を害した話

僕は今から2年半以上前に、東京から病気療養のために田舎に帰ることになった。

病気もいくぶん回復したので地元の人と交流しようと試みたんだけど、全然うまくいかない。

理由を自分でも考えたけど、検索エンジンの力を借りようと、
田舎 友達 いない で検索したらこんなのが出てきたので、やはり東京暮らしが長い人は地方の人の気質とはどうがんばっても合わないというか、浮いてしまう人もいるんだろう。

なるほど参考になる、無理に適応しようとして鬱になってしまった人もいるらしい。

実際僕も地元の人と交流を始めてから実に心象が悪く、もうやめた方が良いんじゃないかと思う。

アドラー心理学の課題の分離を進めていった結果、
僕は相手のパーソナリティは尊重するけど、その指向性は僕とは合わないから、
やっぱりぼっちで良いかなと思うことにした。