リア充アピールがうざいから嫌い→
目的論で考えると嫌いになるという目的のために「
リア充アピールがうざい」という理由をあげつらっているのでは?
でも「嫌い」っていう感情を排してしまったら人間らしさがなくなるんじゃないのか?
多分、コンスタントに人に会っていたら自然と相手に興味も湧いて仲良くなりたいと思うのでは?でも現実的に機会がなくてそれはできない。
自己への執着を他者への関心に変えていく
僕はデザイナーですごいから認めてくれっていう承認欲求が高くてまずいからそれを他者への関心に切り替えていく?
ツイッターで良い例、悪い例のモデルケースとなるユーザーに着眼してみては?