自分用雑記

日々起こったこと、考えたことのメモ

こうして僕は権力争いから降りた

昨日の日記で『健康な人と仲良くなりたいなら自分が健康であれ』という内容を書いたんだけど、
それとは真逆のコペルニクス的回転が僕の中で起こった。

体調を崩してみて、僕は自分が健康ではないということを思い出した。

それで、健康な人と張り合って『権力争い』をすることは愚かしいことのように思えてきた。

アドラー心理学の本を読むと『人と権力争いをしないように』という内容が何度も書かれている。

僕がたどり着いた結論は、地元の人達に対して、
この一年で、僕が殆ど働けない状態から、どれくらいまで回復して今はどんなことが出来るのかという内容の自己開示をすること。

勿論、病名は伏せたまま自己開示を行う。精神疾患がある人に対する先入観は僕も病気になる前は凄くあったし、
鬱って聞いただけで引く人は沢山いると思う。

鬱病を隠すのは実はとても消耗することで、以前友達や恋人に鬱になったことを隠して生活をしていたことで、鬱がたいそう悪化したものだった。

話は少し変わるけど僕と、沖縄に帰った親友は僕が病気になるまでずっと権力争いをしていた。
良く言えばライバルとして切磋琢磨していたんだけど、
今は僕が病気をして競う対象から外れたことで、より穏やかな関係になった。

そのことを踏まえて、僕は少し前に踏み出してみようと思う。

君は友達を作る前に先ず健康であれ(欲求段階説について)

最近体調を崩してみて解ったことがあった。
それは、健康であろうとすることは、人間にとって最上位の欲求であり、交友は二次的な欲求だということだ。

健康状態が優れないと、友達云々言っている場合じゃなく友達を作るために健康を損なう恐れがある場合、明確にその事態を避けるべきだ。

僕はこの欲求の順位が書いてある、マズローの欲求5段階説』というのを知らなかったんだけど、本能的に最下位の欲求を満たすために上位の欲求を抑え込んだ。

体調を崩す前の僕は下記のリンク先のピラミッドの欲求全てに挑戦していた。


でも体調を崩してみて、病人が高次の欲求を持つのは欲張りなことなんじゃないかと思った。ネガティブな意味合いでなく現実的な意見として。

健康な人と友達になりたいなら、先ず君が健康な人と遜色ないくらいの肉体的、精神的健康性を持てと。


鬱病の人がアドラー心理学を学ぶ危険性を身をもって体験した

僕は治りかけの鬱病で、そろそろ社会復帰に向けた準備をしようって段階だったんだけど、10月に東京に旅行した際にアドラー心理学の本を買って、目から鱗が落ちた。
それまで療養している地元がクソだって思っていたけど、アドラー心理学の本を読んで旅行から帰って来た時に地元がこれまでと全然ちがった輝いたものに見えてボロボロ涙が出た。

ボロボロ涙が出たって時点で、あぁ僕健康じゃないなぁとも思ったんだけど、とにかくやる気になった。

自分を勇気づけることは比較的容易に身についた気がする。
だけど元々対人関係から鬱病を発症した僕は対人関係でストレスを受け易かった。

そのため、地元民と交流していくうちに上手くいかないことがあると、どんどんストレスが溜まっていった。

アドラー心理学をマスターしていれば、その辺りの折り合いも上手くつけられたんだろうけど、
何しろ実践しながら身につけていく心理学であるため、どうしても人に会って話をする必要があったのだ。

結果を言うと、僕は鬱がぶり返しそうになってダウンした。

そして人が楽しそうにしてるのを見るのが辛いという状態になった。

仕事で少々無理をしたのも一因であるとは思うけれど。

「まんがで優しくわかるアドラー心理学」に鬱の人にアドラー心理学を使うのは危険と書いてあったのを思い出して、なるほどこういうことかと痛感した。

でも、思想自体は大変有用だと思うからこれからは自分の体調を第一に考えつつも無理のない範囲で学んでいきたい。

嫉妬の度合いで精神の健康を測る

健康な人でも嫉妬は当然あるべき感情で、どんな人間でも全く嫉妬しないというのはあり得ないと思う。

健康な人であれば、その嫉妬を自己の成長に繋げるといった考えで、マイナスをプラスにすることも出来るだろう。

でも何事も程度問題で、行き過ぎた嫉妬は精神の健康を害する元になる。


例えば、あなたの知人が毎日パーティに出かけてたり高い買い物をしたりといったバブリーな生活をしていたとする。
また他の知人は彼氏彼女と充実した毎日を送っていたとする。

それがあなたに伝わる環境にあった場合、
金持ちでもなくパートナーも居ないあなたはニコニコしてそれを見ていられるか?
このブログを読んでいる人が必ずしも貧乏非リア充ではないと思うけど、
皆何かしら嫉妬する対象がいる筈だ。
その対象を

ニコニコして見ていられるならあなたの精神状態はいたって正常

少し癪に障るけどスルーできればまだ正常

見る度にイライラするようになったら黄色信号(場合によってはもう赤信号に片足を突っ込んでいるかもしれない)

見ていられなくなって関係を断ち切りたいと思ったらあなたの精神はもはや正常ではないかもしれない。赤信号。

テレビを見ていてテレビに出ている人に嫉妬するレベルになったら精神疾患である確立が高い。

なんでこんな記事を書くかというと、僕にも最近嫉妬の情が湧いてきて、最初は健康な人のそれだと思っていたけど、
みるみる内に赤信号に突入したんで、
どうやらこれは精神疾患(鬱)の症状の一つらしいうことがわかった。

そのため僕は一時的に人との関わりを絶って回復を待つことにした。

その上で過度な嫉妬をしないように認知を再構築していけば良いのだ。

12月28日 雑記

今日は朝6時頃に起き2時間ほどジムで走り、帰ってからパソコンの下見に行った。
2箇所の電気屋で店員に知りたいことを聞き、その後友人にメールでパソコンについて聞いた。

その後、ライティングと年賀状作成2h30mほど行い、三時くらいに体調が悪くなった。

風呂に入り昼寝しよいと試みるも、寝れなかったため家族とは別に早めに夕食をとり眠剤を飲んで寝ることにした。

明日は作業を全くしないでひたすら寝ていた方が良いかもしれない。

12月27日 不調の原因を特定して重りを外す

やはりここのところどうにも精神的な調子が優れないので、何が原因かを考えた。

恐らく

1 仕事と勉強による疲労が溜まっている
2 SNS疲れ(ツイッターmixi

2番の線が濃厚なので数日間SNSを断つ、
なおかつ、明日は勉強の時間を減らして効果測定をする。

大部分の精神疾患を持つ人に欠けているのは、こういったセルフモニタリングと、対策を練ることと判断力。

勿論、僕も症状が酷かった頃はそんなことを考える余裕はなかったから、
それが出来ない人を責めるつもりは毛頭ない。

12月27日 心理学を学ぶもなかなか構ってちゃんを脱却できず

昨日カウンセリングを受けて、地元の人と交流する際に持つべき姿勢を教えられた。

その中身は理論的には理解できていたけど、とはいえ人と交流する機会がなくて実践できないと身につかないなぁっていう思いもあった。

 

そんなイライラからまた酒を飲んでツイッターでわめき散らしたんだけど、

そういった手段でも、ストレス発散ができないよりはマシだと思う。

 

もっとも特定の人を中傷したりしなければの話だけど。(陰口は可)

 

それでも僕はなかなかアドラー心理学でいうところの課題の分離が出来ていなくって、

なんで僕は相手に何かしてあげてるのに返してくれないんだろうって身勝手な”構ってちゃん”思考がなかなか抜けきらず、悶々とした感情が募っていった。

ネットで調べてみたら、”構ってちゃん”は

  • 見放すと一瞬で手のひらを返す

って特徴があるらしい。

でもその逆も然りで相手が自分に興味を示すと途端に手のひらを返して懐くことがある。

 

「他者は自分の希望を満たすために生きているのではない」のにホント愚かしいよなぁと我ながら思ったりする。

 

先日地元のオフ会で会った人がリア充アピールがうざくて嫌だったんだけど、

僕のpostにイイネをくれた途端、この人はこういうことに興味があるのかと、

相手を理解しようという気持ちが生じてきた。

 

相手の興味があるもののどんなところが良いのだろうと考えをめぐらせることも

人間関係を良好にするために有用らしい。

 

人間関係に関する、諸々の心理学や知識は好循環のパターンにはまれば身につくのかもしれない。

 

でも悪循環に陥らないようにしたり、ちょっと精神的に参っている時の助けになるように身に着けておきたいと思う。

 

しばらくは、仕事に注力しつつなにか参加できる催しがあったら行くくらいのゆるいノリで人間関係を模索していこうと思う。