こうして僕は権力争いから降りた
君は友達を作る前に先ず健康であれ(欲求段階説について)
鬱病の人がアドラー心理学を学ぶ危険性を身をもって体験した
嫉妬の度合いで精神の健康を測る
12月27日 心理学を学ぶもなかなか構ってちゃんを脱却できず
昨日カウンセリングを受けて、地元の人と交流する際に持つべき姿勢を教えられた。
その中身は理論的には理解できていたけど、とはいえ人と交流する機会がなくて実践できないと身につかないなぁっていう思いもあった。
そんなイライラからまた酒を飲んでツイッターでわめき散らしたんだけど、
そういった手段でも、ストレス発散ができないよりはマシだと思う。
もっとも特定の人を中傷したりしなければの話だけど。(陰口は可)
それでも僕はなかなかアドラー心理学でいうところの課題の分離が出来ていなくって、
なんで僕は相手に何かしてあげてるのに返してくれないんだろうって身勝手な”構ってちゃん”思考がなかなか抜けきらず、悶々とした感情が募っていった。
ネットで調べてみたら、”構ってちゃん”は
- 見放すと一瞬で手のひらを返す
って特徴があるらしい。
でもその逆も然りで相手が自分に興味を示すと途端に手のひらを返して懐くことがある。
「他者は自分の希望を満たすために生きているのではない」のにホント愚かしいよなぁと我ながら思ったりする。
先日地元のオフ会で会った人がリア充アピールがうざくて嫌だったんだけど、
僕のpostにイイネをくれた途端、この人はこういうことに興味があるのかと、
相手を理解しようという気持ちが生じてきた。
相手の興味があるもののどんなところが良いのだろうと考えをめぐらせることも
人間関係を良好にするために有用らしい。
人間関係に関する、諸々の心理学や知識は好循環のパターンにはまれば身につくのかもしれない。
でも悪循環に陥らないようにしたり、ちょっと精神的に参っている時の助けになるように身に着けておきたいと思う。
しばらくは、仕事に注力しつつなにか参加できる催しがあったら行くくらいのゆるいノリで人間関係を模索していこうと思う。